こんばんは。
今日から5月、旧暦で言えば「皐月(さつき)」になるわけで。田んぼに苗が植えられる季節になってきたので、車体を水面に反射させて撮る水鏡カットはまた来年になりそうです。こんなこと考えるのも、この趣味を続けてきたからですね。
さて本題へ。名鉄蒲郡線で懐かし(もちろん知りませんが…)の白帯車を追いかける旅、起点の吉良吉田駅から乗車中でした。
前回はこちらから。
蒲郡線は全10駅、17.6kmの路線ですが、ちょうど中間くらいの位置(8.9km)にあるのがこどもの国駅です。駅前はグループが集合する分には広く、ホームは1面1線ながら高架で線内唯一の6両対応となっています。
ちなみに「こどもの国駅」は、ここ以外にも横浜(東急こどもの国線)と宮崎(JR日南線、ただし漢字表記)にもあるようです。さすがに利用者数や本数を比べてしまうと酷でしょうけど、3駅合同イベントとかやったら子どもも大人も盛り上がりそうですね。
6000系(6011F) 〈1361 普通 吉良吉田〉
東幡豆寄りの空き地から編成写真を。初代洲崎駅はここから西に約400m離れた場所にありまして、1952年にちょうど写真の場所辺りへ2代目洲崎駅が移転。さらに1974年には現在の3代目洲崎駅が移転開業、その2年後にこどもの国駅へ改称されたそうです。
にしても改めて見ると赤車体に白帯ってこうも目立つものなんですね。有料列車と区別するために始まった取り組みですが、確かに通常列車とは異なる存在として認知されていたことでしょう。
で、さっきから度々登場するこどもの国とは、駅から急な坂を約15分歩いた先にある「愛知こどもの国」のことです。屋内外ともに各種遊具やワークショップが設置されていまして、特に園内を走るナローゲージの「こども汽車」は、ミニSLを全国に広めた先駆者なんだとか。
ただ、この日はド平日ということもあってファミリーどころかスタッフすらもひとっこ一人いない閑散っぷり。遊園地系は全種運休だったのも頷けますが、汽車くらいには乗ってみたかった…かな。
先程の写真奥の階段を上った先にある踊り場から、なんとか海が見えました。本来ならば更に15分ほど登った先にある展望台からの構図が絶景なんですが、道を間違えたのとそんな気力が残っていなかったので、渋々妥協しました…
三河湾と西浦半島を捉えているわけですが、本土と陸繋島が砂州によって陸続きになる「トンボロ現象」がよく分かる1枚ともなっています。函館や江の島の地形が有名ですかね。
その地域・地形ならではの風景写真を撮ると、その路線の性格を知ることができると思います。都会なら都会で、田舎なら田舎で、また違った姿を見せるというのも面白いものです。
駅に戻って終点・蒲郡まで乗車。こちらも高架で、エレベーターも完備。先程のこどもの国駅は階段だけですし、そもそもファミリーにとって坂道15分は遠すぎるのであまり使われないような気が…(というか大抵自家用車で来そう)
蒲郡線が衰退の一途を辿る原因に、接続するJR東海道線が影響しているのは言うまでもありません。もはや名鉄すらも名古屋へはJR乗り換えで向かうことを推奨しているくらいなので、いかに沿線住民を細かく拾えるかが焦点となってきそうですな。
折り返しに乗って、爆睡していたら既に吉良吉田でした。接続する西尾線の急行に乗りつつ、主要駅・西尾で途中下車。
コンコースでは「白帯写真展」と題し、貴重な写真の数々が展示されていました。奥には2021年10月に取り壊された西幡豆・東幡豆駅舎を惜別するパネルもあって、西蒲線の今昔がなんとなく窺える一角でした。
ちなみに蒲郡・西尾両駅の窓口で有効なフリーきっぷを提示すると、白帯復刻記念券が計3枚貰えます。その場で無料で発券してくれるので売り切れの心配がなく、なかなか有難い気配りかなと。
ということで一通り蒲郡線(と西尾線)を巡ってきたわけですが、乗客ゼロというわけではないものの「大手私鉄のローカル線だから残っている」感は否めない様子でした。
今後どこまで踏ん張れるか、というか自治体がどこまでサポートするかが、蒲郡線の運命を左右しそうですね。こどもの国俯瞰も含めて、また訪れたいところです。
あ、あと白帯車ラッピングは5月8日まで…の予定でしたが継続されるようです。詳細は名鉄ホームページにてご確認ください。
西尾始発の普通に乗って、名古屋本線へと向かいます。
次回に続きます。ありがとうございました。