〈6/20 久々青空フリパ‐5〉武豊線に初乗車(ちょこっと名鉄)
こんばんは。
昨日(7/10)は初めて「都市高速」というものに挑戦してみました。まあ名古屋高速を走ってみたということですが、アホみたいな頻度の車線変更、アホみたいな直角カーブ、アホみたいな名古屋ナンバー車の割り込み…まあ無謀でした。走りやすいに越したことはないと十二分理解した次第でございます。
さて本題へ。ゆとりーとラインで大曽根に戻ってきた後、中央線で名古屋へ。ここでやっとこさ用事を済ませました。もはやメインとサブがあべこべな気がしますが、今に始まった話じゃないので気にしないしないで。
前回はこちらから。
用事を終えたのは17時前でした。どこかで撮り鉄するのも微妙だったので、名古屋から近い割には未乗区間だった武豊(たけとよ)線に赴くことにしました。
名古屋から新快速で2駅の大府から、知多半島の東側を沿うようにして武豊まで至る全10駅、19.3㎞の路線です。割と最近までキハ25系やキハ75系が走る非電化路線だったものの、2015年に電化されたことで名古屋都市圏としての風格がより一層強まりました。
あとは衣浦臨海鉄道の貨物列車も乗り入れることで有名ですかね。タブレット閉塞を採用しているので、途中の東浦と東成岩で通票の受け渡しが行われます。あとは「中部国際空港(セントレア)まで延伸」という夢のような話もあったり。
地方交通線としては第1位の可部線に次ぐ輸送密度の高さなのでローカル線ではありませんが、並走して走る名鉄河和線のほうが便利なのか武豊駅前は少々寂しい雰囲気です。こりゃセントレア行きも厳しそう。
写真左に映るのは高橋煕駅手の胸像です。1953年9月に発生した台風13号の影響で武豊線の線路が流失し、その区間に迫り来る列車に発煙筒で異常を知らせたものの、自身は殉職。その行動が「国鉄職員の鑑」として称えられたことから、1954年に設置されたそうです。
沿線には田んぼがあったり住宅地が広がったりイオンモールがあったりと、バランスの取れた路線といった印象。誰がどう見ても「幹線の支線」といった感じです、ええ。
車両は名古屋地区仕様なので313系と311系しか来ませんが、そもそも単線なので行き違いが発生します。こんな光景もそのうち見納めなので、混まないうちに撮っとくのが無難ですな。
現在は普通と区間快速(線内は各駅停車)のみですが、かつては快速も走っていました。これは非電化時代の名残で、名古屋へ直通する際に加減速性能が悪い気動車が東海道線の電車を邪魔しないようにあえて通過駅を設定したことに由来します。
名古屋→武豊→乙川(311系離合の写真)→半田とフリーパスの効力を濫用しているのはさておき、この跨線橋は1910(明治43)年から現在まで「現役で使われ続けたJRで最古の跨線橋」でした。
高架化工事に伴い2021年6月でその歴史に幕を閉じ、今後は駅前に整備される公園で保存されるそうです。そういや亀崎駅も開業当時から残る「日本最古の現役駅舎」として有名なので、武豊線は案外鉄道遺産の宝庫なのかもしれません。いやそうなんでしょう。
2018年の愛知ディスティネーションキャンペーンを始めとした臨時列車の入線も多いこの路線は、単なる通勤・通学路線と片づけてしまうにはもったいないほどの魅力が詰まっているようです。衣浦臨海鉄道と合わせて、再度訪れる必要がありそうですね。
6800系(6807F)+6000系(6003F) 〈591 特急 金山〉
少し歩いて知多半田近くのカーシェアステーションへ。西を向いて走ると常滑線・空港線にぶち当たるので、りんくう常滑で臨時特急を撮影。まあ酷い有様ですが「金山行きの特急なんだな」ということは分かるんでね…
セントレアの真横の愛知国際展示場で何かのイベントがあると、名古屋発中部空港行き、中部空港発金山行きの全車一般車の特急が運転されることが通例となっています。HPにしれっと掲載される程度ですが前々から気になっていたので、今回初撮影です。
後ろの6003Fはワンマン運転対応車なので専ら三河線で運用されるんですが、ごく稀に本線系統を走っていたりします。メイン路線とは違う場所を走ることを「脱走」だの「脱走兵」だの呼んで盛り上がるのは、支線あるあるなんですかねえ?
これだけ撮って、駅前のイオンモール常滑で申し訳程度の夕飯を食らいつつ返却。武豊線区間快速で名古屋まで、関西線と伊勢鉄道を乗り継いで帰路に着きました。
さて、久しぶりのシリーズ記事でしたがいかがでしたでしょうか。数時間だけの単発撮り鉄でも良いんですが、フリーきっぷを駆使して1日中周るほうがやっぱり楽しいですよ。あと未乗だった美濃赤坂支線と武豊線にも乗れたので満足です。
以上、久しぶりに青空フリーパスを使った撮影記をお送りしました。ありがとうございました。