1/8 近鉄の大先祖・道明寺線(おまけ中編)
こんばんは。
明日はいよいよ大学入試共通テストですね。もうセンター試験なんて呼ぶ人はいなくなってしまったのかもしれませんが、受験生の岐路という部分では生涯共通なのかなと。ぜひとも頑張ってもらいたいものです。
さて本題へ。おまけ枠の中編、ここからはもはや単なる関西撮影記と化します。
前回はこちらから。
201系(ND602) 〈2472S 普通 久宝寺〉
信貴山朝護孫子寺での参拝を終え、ひとまず上本町まで。立ち食いうどん屋で次にどこへ行こうかを考えたところ、案外馴染みのない「おおさか東線」が思い浮かんだので、河内永和を経由して衣摺加美北までやって来ました。
225系の新製、221系の移転、その結果201系が淘汰されることになったのは周知の事実です。国鉄が誇る「省エネ電車」でしたが、やはり時代の波には逆らえない形となりました。
4扉ロング車という収容力、ウグイスカラーという馴染み深い色に魅力を感じた人もそこそこいるのでは。しばらくは撮り納めに勤しむ人が増えそうです。
207系(S45+Z21) 〈2105M 直通快速 新大阪〉
ついでなので直通快速も。平日は新大阪への通勤・通学輸送を、土休日は奈良への観光輸送を担い、それプラス新幹線連絡も果たすという、使い方次第では便利な列車ですね。おおさか東線に通過駅があるのも新鮮なのかも。
ただ201系が撤退すると、3扉転クロの221系と比べて4扉ロングという設備面で差が出ることになります。「あれ普通逆では…」と思ってしまいそうですけど、JR東西線直通時代の223系6000番台を持ってくるみたいなことはないのでしょうか。
6432系(MI22) 〈162 普通 道明寺〉
そのまま久宝寺へ、大和路線で柏原まで出てから再び近鉄に。未乗車だった道明寺線を攻略します。
改札内乗り換えができるものの、交通系ICカードを使うときは中間改札機にタッチする必要があるため、そこそこ目立つ案内がなされていました。JRが管轄する駅なので、近鉄線のみの利用であった場合もタッチが必要なのがやや面倒…
ちなみに東に500m歩くと大阪線堅下があるので、乗りつぶしの際にはそこそこ有効なショートカット方法ではあります。
6432系(MI22) 〈165 普通 柏原〉
唯一の途中駅、柏原南口で途中下車。6時間前に大阪線の大和川橋梁に訪れましたが、どうやら道明寺線にも架かっていたようで。ここからも大阪線安堂(400m)へ徒歩連絡ができます。
単線かつ簡素な作りながら、夕陽がええ感じに当たっているのがエモいのなんの。道明寺線は近鉄全線の中で最も歴史が古く、高野山への参拝客輸送を目指して河陽鉄道が開業させた1898(明治31)年にまで遡ります。
近鉄は相次ぐ合併で規模を拡大していったパターンなので、この道明寺線も今では大和側の対岸どうしを結ぶ支線ですが、ルーツを探る分には非常に興味深い路線なんですよね。
その証拠に、2019年にはこの大和川橋梁を含む鉄道構造物群が「土木学会選奨土木遺産」として認定されました。明治の橋梁が令和にも現役だというのは、由緒あるというか、耐久性が凄いというか、大丈夫かと心配するというか…
鉄道技術というとイギリス由来なものが多いらしいですが、道明寺線の場合はフランス積みが採用されたレンガ溝橋もあるようです。何か違いがあるのか、一度見てみたいですねえ。
6432系(MI22) 〈165 普通 柏原〉
振り返って柏原南口との2ショットを。必要最低限の設備は整っているという感じですが、そもそも初代(当時の駅名は大和橋)は対岸に設置されていたとのこと。
視野を広げれば、それこそ三重県内にも数多くの土木遺産は存在します。普段から利用するユーザーはもちろん、鉄道ファンからも注目されるほどの価値があるということで、今後も末永く活躍してもらいたいものです。
この後は柏原南口から道明寺へ、準急に乗り換えて大阪阿部野橋に向かいました。
本編よりおまけ編のほうが記事数が多い珍現象が発生していますが、とくに気にせず次回(後編)に続きます。ありがとうございました。