あすなろ撮影録

大学生の備忘録的ななにかです

ありがとう211系0番台〈撮影編〉

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こんばんは。

今日から新年度、色々とおめでたい立場を迎えたり、急に成年として扱われたりと様々ではないでしょうか。あまり気を引き締めると精神的に苦しくなってくると思うので、適度な緊張感というものを知っておきたいものですな。

 

さて、2022年3月のダイヤ改正を目の前にして引退した、JR東海の211系0番台を振り返るシリーズ。前回〈解説編〉では生い立ちや変遷を軽くご紹介しました。

 

naroaru.hateblo.jp

今回〈撮影編〉は、いつも通りの記事と言いますか、同日に撮影した211系0番台をあれやこれや貼っつけていきます。ひとまず亀山へ…

 

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奥には夜間停泊していたK52編成、手前に滑り込んできたK51編成のは桑名発亀山行き普通(1301M)です。折り返しは19分後の1本目の区快(2350M)となり、まさかの停泊組は2本目の区快(2352M)なんですよね。

211系運用だけでダイヤグラムを作ってみると、離合するタイミングは八田や加佐登であったようです。ただ0番台に限ると土休日の春田くらいしかなく、ましてやここ亀山を思いつく方なんてそう多くはなかったかと…

 

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亀山ならではと言えば、211系のエセ離合の他にキハ120形との並びもありました。ここから関西線はJR西日本管轄、そして普段なら加茂方面の列車が発着する3番線に平日朝3本(土休日は朝1本)だけは名古屋行きの列車が発車することで実現したものです。

個人的な話ですが、河曲ユーザーの自分からすれば亀山行き始発の1301Mからこの加茂行き(229D)への乗り継ぎでよくお世話になったものです。空気輸送ボックスシートから気動車ボックスシートへ…関西に抜けるための準備運動みたいな気分でした。

 

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さて今までさほど注目されていなかった211系0番台ですが、大いに盛り上げた要因のひとつに惜別の編成札の掲出が挙げられます。

名古屋・亀山・神領・中津川の各運輸区が製作したようで、3月1日から前面窓の隅っこに突如現れました。よく見るとそれぞれデザインが異なるので、まさにプチサプライズといったところでしょうか。

個人的には中津川運輸区(上写真)の配色が好みです。アイボリー色に湘南帯という、いわゆる過去の東海色…に見えなくもないので、なぜか103系を思い起こさせました。あと亀山運輸区のイラスト、よく見ると四日市らしい背景ってのが粋ですねえ~

 

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そうこうしているうちに時間になったので、先発の区快に乗車します。窓が汚ったねえのはご愛嬌ということにして、ちょうどサンライズの瞬間に立ち会えました。そういやこんな時間に電車に乗ったのも久しぶりかも。

今更かもしれませんが、211系0番台そのものは絶滅したわけではなく、JR東日本中央東線で未だ現役です。あっちもセミクロスシートですし、山岳区間を走るので車窓は良さそうです。

 

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211系(K52) 〈2352M 区間快速 名古屋〉

亀山から3駅進んで河曲で下車。この日は同業者が自分含めてたった2人だったという意外さはさておき、朝日を浴びながら入線してきた次発の区快を頂きました。ちなみに次々発の区快(2354M)は313系1300番台の重連でした。

撮っといてアレですが、外観は未だ蔓延っているJR製の211系と遜色ない(側面方向幕や前面窓の大きさが違うくらい?)ので、中央線や静岡地区に行けば何食わぬ顔で走ってそうなんですよね…

 

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はたまたJR東日本の長野地区へ譲渡だの部品取りだの真相が不明な情報も流れていますが、さすがに東海地区に帰ってくることはないでしょう。

亀山・桑名両駅のオブジェや惜別編成札もそう目立つものではなく、ささやかな感謝とお別れといった雰囲気でした。大々的にラストランを行うのもまた一興でしょうけど、現場の方々によるさり気ないイベントというのも、ほんわか温かみがあると思います。

 

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211系(K51) 〈5300M 快速 名古屋〉

別日には唯一の快速運用も。快晴の下、湘南色と青幕がとても映えてくれたかなと。たまたま居合わせた少年は生粋の関西線ユーザーということで、並々ならぬ思い入れがありそうでした。

211系0番台の引退により東海地区から国鉄製車両が全廃。すなわち全てJR東海が製造した車両に置き換わったということであり、民営化後35年目にしての大きな出来事でした。

 

JR誕生は1987年4月1日、まさに今日が35周年の節目というわけです。奇しくも鉄道開業150周年(1872年10月、新橋~横浜)とも被っているようで、何かの縁だったりして。

この地区から物珍しい車両がひとつ消えてしまいましたが、同僚や後輩はバリバリ現役ですし、いずれ新入りに置き換わろうとも同じ線路を走り続けることには変わりありません。

どの瞬間にも言えることですが、かつての活躍を忘れずにこれからの活躍に期待していきたいものです。

 

以上、211系0番台を惜別するお話でした。ありがとうございました。