あすなろ撮影録

大学生の備忘録的ななにかです

〈2/27 試せ北の大地-15〉在りし日の留萌線放浪記ー恵比島

こんばんは。

前回降り立ったのは地図…じゃなくて真布。北海道にしては優しい駅間距離でしたので、てくてく歩いているところでした。道中には謎のイラストと「NHK すずらん」との文字が書かれたシャッターを発見。近づいてきましたねえ。

 

前回(真布)の模様はこちらから。

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40分ほど掛けて辿り着いたのは立派すぎる木造駅舎、入口に書かれているのは「驛萌日明」って、あれここどこですか?というか何時代ですか?あ、除雪されている作業員の方々ご苦労様でございます。

こちらは1999年に放映されたNHK連続テレビ小説すずらん」の舞台セットで、明日萌(あしもい)駅として現存させているようです。当時のJR北海道としても積極的にタイアップし、なんと真岡鐵道から借りたSLを臨時快速として走らせていたほど。

 

恵比島駅(北海道雨竜郡沼田町字恵比島)

開業:1910年

アイヌ語由来:エピソマプ(水源が浜のほうに向かっているもの)

乗車人員:1.6人(2021年度)

停車本数:上り7本/下り6本(2022年度)

では本物、すなわち恵比島(えびしま)はどこかと言いますと、真隣に鎮座するどっからどう見てもダルマなそれが駅舎です。ドラマ撮影の一環で外観こそは木板でカモフラージュされているものの、もう風貌が隠しきれていません。

出身はヨ3500形車掌車とのことで、弧を描く屋根がその雰囲気を醸し出しています。ちょっと休憩する分には全然快適だと思うので、国鉄民営化→大量の貨車が余る→駅舎の建て替えが重なるという偶然ながら、よう上手いことやったなあと感心しました。

 

中に入ってみると、雪かきとともにまたしても千羽鶴。地元の人が飾ったのか、訪問者の置き土産なのか、真相は定かではないものの、一体何を祈願しているのでしょうか。

触れていませんでしたが、峠下と真布、そしてここ恵比島にも積み重なった駅ノートが常備されておりました。個人的に自身で書き込むよりは思い思いに描かれている文章や絵を眺めるのが結構好きなので、こういう文化はぜひ続いてほしいものです。

…ところで廃駅となった今、そのノートの行方やいかに。

 

明日萌駅舎内は撮影当時そのままの様子で残されているものの、残念ながら冬季は施錠されているため見学はできず。窓越しに覗いてみるだけでも何となく観察できます。さすがに等身大の人形と目が合ったときはビビりましたが…

ちょうど反射してますが、1面1線の割にはやたら広大な構内(ダジャレじゃないよ)であることがお分かり頂けるかと。かつては交換可能な2面2線だったというのに加えて、鉄道院(のちの国鉄)とは別に「留萠鉄道」が分岐していたそうです。

 

北海道で鉄道の歴史を語る上で欠かせないのは、やっぱり炭鉱や炭田の存在です。その留萠鉄道も御多分に漏れず、沼田町北部で採れた石炭を留萌港から運び出すという使命がありました。

廃線が1971年ということで今や50年近く経過し、さすがに路線の面影はありません。ただ終点の旧・昭和駅付近には、かつての炭鉱施設の遺構がポツポツと残っているそうです。北の大地特有の盛者必衰、その変遷を辿るのも興味深いものですね。

 

早朝の下り1本だけは恵比島を通過してしまうので、これが本日の留萌行き始発(4923D)でございます。札幌からの旭川行き特急「ライラック」1号から丁度良い乗り継ぎができるので、さすがに座席はほとんど埋まっていました。

安全確認のために急ブレーキが掛かり、確認のために運転手さんが車外に出るという光景を目の当たりにしながら、次なる駅へと向かいます。

 

次回に続きます。ありがとうございました。

 

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〈2/27 試せ北の大地-14〉在りし日の留萌線放浪記ー真布

こんばんは。

在りし日の留萌本線を行ったり来たりする旅シリーズ、前回(峠下)の模様は下のリンクからどうぞ。

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峠下から深川行き(4922D)に乗車。通勤・通学時間帯だからか、車内は座席が程よく埋まる程度でした。ぱっと見では全員が同業者ではなかったのが一安心なものの、「廃止1か月前の」「平日朝で」この乗車率、う~ん何とも言えない気持ちでした。

ただでさえ駅前が閑散としているのだから、駅間なんかは完全にありのままの姿です。2021年度の営業係数は2183円と、JR北海道で2番目の収益の悪さだそうで、この車窓を見るまでもなく北海道の鉄路の厳しさがよく分かる瞬間でした。

 

そんなことを考えていると、次なる訪問駅である真布(まっぷ)に到着しました。どう考えても「地図」を彷彿とさせるその駅名は、かつての終点・増毛(ましけ)と負けず劣らずのインパクトを誇ることで界隈から人気を集めています。

ところで自分が現金精算している間、入れ違いに高校生が乗車していきました。田畑のど真ん中にあるので当然のように民家は皆無なんですが、先日の西女満別といいどこからやって来るんでしょうか…

 

真布駅(北海道雨竜郡沼田町字真布)

開業:1956年(仮乗降場)→1987年(昇格)

アイヌ語由来:パンケ・シルトロマプ(下の山の間にある川)

乗車人員:2.2人(2021年度)

停車本数:上り4本/下り5本(2022年度)

板張りホームと木造待合室を有する1面1線の棒線駅。1両分あるかないかという短さもまた、当初は仮乗降場として誕生したという経緯が垣間見えますね。

停車本数からお察しの通り、数本の列車は通過してしまいます。とくに下りの始発(4925D)は11:29と昼前という有様ですが、朝に石狩沼田・深川方面へ向かって夜に帰ってくる分にはそこまで不自由しなさそうなダイヤ設定でした。

 

この片流れ屋根の待合室、もちろん中に入ることもできまして、突然の雪でもギリギリ耐えられそうな造りでした。お世辞にも広いとは言えないこの空間に、駅ノートやら座布団やら千羽鶴やら、訪問者が残していった宝物が詰まっていたわけです。

ちなみに深川を除いた留萌線11駅の中で石狩沼田、留萌、秩父別に次ぐ第4位の乗降人員数を誇ります。さっきの高校生の定期利用分ですかね?まあ他が1人以下とかそういう世界ですから致し方ない。

 

もう少し哀愁を感じていたいところですが、行程上そういうわけにもいかないので雪中行軍タイムと参ります。隣駅までそれぞれ3.4km・2.9kmと北海道にしては全然優しい距離ですし、線路沿いにひたすら直進するだけなので心身ともに負担は少ないかと。

沼田町内は並行して町営バスが走っていまして、現在はそれが代替手段となりました。2023年4月からはそれまで経由していなかった真布駅前も追加、かつ列車との接続も考慮されていることから、利便性はそこまで落ちてはいないようです。

 

ちょうど向かい側から幌新温泉発の沼田駅前行きバスがやってきました。これに乗れば7:58着→8:15発の留萌行き(4923D/真布通過)に乗り継げたんですけど、あろうことかフリー乗降区間なので乗り方がよく分かりませんでした。

峠下でも案内を見かけた「ほろしん温泉ほたる館」とは日帰り入浴も可能な宿泊施設なようで。夏にはホタルも飛び交っちゃったりして、なかなか良さげなロケーションです。ただ留萌線が全線廃線となってしまうと、いよいよどうアクセスしたものか…

 

と思ったら路肩の雪に埋もれたバス停を見つけました。ここが「牧場前」ということは手前の「恵比島4会館」を素通りしたというわけですが、それらしきポールは無かったような気が。ま、まあどのみちバスは既に過ぎ去ったんでね…

雪中行軍とか大袈裟なことを書いたものの、ガッチガチに踏み固められた路面なのでサクサク歩けましたし、何より誰もいない雪原の中をのんびり歩くという経験自体が貴重だったので苦ではありませんでした。

 

隣なる駅までもう少し、次回に続きます。ありがとうございました。

 

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〈2/27 試せ北の大地-13〉在りし日の留萌線放浪記ー峠下

こんばんは。

昨晩のうちに留萌市内に入っておきまして、いよいよ最終日となってしまった「試せ北の大地」シリーズ。この日はキハ183系と並ぶ本旅のメインとも言える、留萌本線廃線区間にあった駅をいくつか観察してみることにします。

 

前回はこちらから~

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夜明け前の留萌駅前からおはようございます。2階建ての鉄筋コンクリート駅舎だけを見ればどこぞのJR四日市駅(いや言うてる)と何ら変わらん風貌ですが、それでも廃駅になってしまうのが現実です。

繰り返しになりますが、2023年3月末を以て留萌線・石狩沼田~留萌は廃止されました。以下の文章中に登場する列車番号や情報はその当時のことを示しますので、予めご了承下さいませ。

 

キハ54形(510) 〈4920D 普通 深川〉

だだっ広い構内でエンジンをふかしながら待つのは、相も変わらずキハ54形。「三島会社」への国鉄からの最後の置き土産ということで、四国には温暖地型の0番台、北海道には寒冷地型の500番台が導入されました。

言われてみればロングラン運用が多い道北に集中しているイメージがありますね。H100形に押し出されたキハ150形に運用を奪われている印象でしたが、どうやらそうでもなさそうです(留萌線は半々くらい…?)。

 

乗り込んでみると、どこかで見たことあるようなシートが集団見合い式で並べられていました。あ、これ近鉄特急「サニーカー」こと12400系列でもお馴染みの簡易リクライニングシートやないですか。

キハ54形では長距離運用を見越して座席の交換が行われており、この車両ではキハ183系で使われていた座席を流用しているようです。他にも0系新幹線や789系からの廃車発生品を装備した車両もあるそうで、見た目に反して居住性は侮れません。

てことは逆にあの設備で特急料金をふんだくるサニーカーって一体…

 

始発便は留萌を出ると3駅連続で通過、これもまた北海道の普通列車あるあるです。20分ほど走り続けると、最初の訪問駅である峠下(とうげした)に到着しました。深川からの始発便(4921D)と行き違いましたが、線内唯一の交換可能駅だからですね。

氷点下の中でもエンジン全開で白煙を上げながら発車していく様、もうこれを直に目の当たりにしただけでも来た甲斐がありました。同業者はまさかの片手で数えられる程度の少なさ、早朝ならではの体験です。

 

峠下駅(北海道留萌市留萌村峠下)

開業:1910年 

アイヌ語由来:ルチシポク(峠の下)

乗車人員:0.4人(2021年度)

停車本数:上り7本/下り7本(2022年度)

駅前広場(?)に出て振り返ると、雪と氷柱に囲まれた木造…のように見えるけど実はパッチワークだらけな駅舎がお出迎え。入口上部のドデカいJRマークが気になります。

かつては有人駅で、現在は除雪担当の保線要員のために詰所として使われているというのも、北海道の秘境駅あるある。タブレット閉塞が廃止されるまでは駅員さんがいたので、無人駅としては「比較的」浅い経歴を持ちます。

あ、ちなみにトイレは使えますが、トイレットペーパーが無かったのは完全に落とし穴。

 

駅名から察する通り、山の中にポツンと佇んでいるので辺りは殺風景そのものです。少し歩くと国道233号に出るものの、車通りは皆無。今のメインルートは並行する深川留萌自動車道ですから、極論を言えば「寂れてしまった」雰囲気でしょうか。

沿岸バス・道北バスの「峠下分岐点」停留所は埋もれちゃってますが、公衆電話の周辺は除雪が行き届き、受話器を持ち上げるとちゃんと使える状態でした。旭川と留萌を結ぶ国道233号、その役目を高規格道路に譲った現在も「道」としての機能を全うしなければならないというプライドを感じました。

 

クマに襲われるのが先か、凍死するのが先かが怪しくなったので駅舎内に避難。立派な除雪機が鎮座しているのはともかく、かつての出札窓口が掲示板と化しているのを見ると、駅員さんがいた時代ってどんな感じだったのかと想像してしまいます。

かつては近くに小学校があり、跡地を示す記念碑や旧教員住宅が残っているそうです。そう考えるとこれだけ広い待合室も納得なんですが、通学需要だけでそうそう維持できるわけでもないのが難しい話です。

 

7時を過ぎるとようやく太陽の光が差し込んできました。千鳥式の2面2線構造で、ホームがやたら長いのは貨物取扱があった名残ですな。SLの給水塔なんかも設置されていたらしいので、やはり今も昔も拠点駅なことには変わりありません。

あ、言い忘れていましたが留萌線は「Peachひがし北海道フリーパス」の範囲外ですので、その都度普通運賃を支払いながら巡っていきます。まあ、最後くらいは金を落としておこう…

 

次回に続きます。ありがとうございました。

 

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